門外漢(1)

マラッカ海峡

 集合全体が多様化し大きくなるにつれて、個はよりいっそうの独自性を求められていく。独自性の弱い個の集合は、色彩に乏しくくすんだ絵にしかならない。


 社会が複雑になるにつれ、人一人が生きるにあたって大きなポジションを占める「仕事」というものに、一人一人には専門性が求められているのが今の社会の現状だ。そして人々は、自分自身の中に何らかの専門性を求め仕事や勉学に励んでいる。独学しかり、大学しかり、専門学校しかり、職場しかり。
 現在、巷には実に多種多様な専門分野があるわけだけど、その中でも医学系は、人命を左右する点において最も社会的責任の重い専門分野だろう。そのためかどうなのか、その職に従事し得るまでの道のりは決して平坦ではなく、一度しかない多感な時期の貴重な時間、または宇宙には行けないが中古のヘリコプターくらいは買えるお金を犠牲にしなければいけない。


<写真:マラッカ海峡

4年ほど前にマレーシアに行ったときの写真。僕の貧相な感性ではここの歴史を感じることができませんでした。ちなみにぽつんと写っているのは同行した友人です。

久々の更新

輪廻転生

 今日はちょっとおもしろいモノを見つけたので、その紹介をしたいと思う。
成分解析」というフリーのソフトなのだが、その名の通り「ありとあらゆるモノ」の成分を解析するというソフトなのだ。とは言っても、真剣にモノの構成要素を解析するわけではなく、おもしろ冗談半分にいろんなものを分析していくのである。まあ、百聞は一見にしかず。例を記載しておくのでそれを見てほしい。
例えば「アメリカ」と入力した場合。


アメリカ」の成分解析結果 :
アメリカの32%は毒物で出来ています。
アメリカの29%は嘘で出来ています。
アメリカの22%は運で出来ています。
アメリカの16%は魔法で出来ています。
アメリカの1%は祝福で出来ています。


 と、こんな感じである。ソフト自体は入力したキーワードについて特定の結果を返すだけという単純なもので、百科事典のような大それたものではないのだが、いろんなキーワードを入力してみるとなかなか奇抜な答えが返ってくる。上の「アメリカ」の例は全部とは言わないが、結構痛いところをついているんじゃないかな。
 入力するキーワードは何でもよく、人名なんかも解析してくれる。因みに僕の本名を解析した結果は次のとおりだ。


xxxの成分解析結果 :

xxxの71%は成功の鍵で出来ています。
xxxの10%はカルシウムで出来ています。
xxxの7%は犠牲で出来ています。
xxxの6%は不思議で出来ています。
xxxの2%は大阪のおいしい水で出来ています。
xxxの2%は白い何かで出来ています。
xxxの1%は睡眠薬で出来ています。
xxxの1%は赤い何かで出来ています。


「大阪のおいしい水」って淀川の水のことだろうか?うーん…。
 下にリンクを貼っておくので、ソフトが欲しい方はどうぞ。


http://tekipaki.jp/~clock/software/


<写真:空き缶をプレスしたブロック>
先日クリーンセンターに壊れたホットカーペットを捨てに行ったときの写真。ゴミも整然と固められると立派なオブジェに見えないこともない。

納豆主食クラブ通信

納豆弁当

 全国一億四千万の納豆ファンのみなさんこんにちは。自らを極度の「納豆狂」と自負するNierです。ついに噂の駅弁、「納豆弁当」を食すことができました。長年の夢がかない、今はただひたすら感涙の海に溺れているところです。
 さてこの納豆弁当ですが、できたのは2001年で歴史としては浅いのですが、名前のとおり第一印象が強烈でお弁当ファンの間では意外と知られているようです。納豆主食クラブの会長としての僕も、昨年ぐらいからその存在をどこからともなく耳にしてはいたのですが、別にこれと言って水戸に行く用事もなく今日に至っていました。それが、先日も書いたとおり水戸に行くことになりまして、やっとの思いで手に入れることができたわけです。しかし、水戸に到着してからも納豆弁当への道のりは決して平坦なものではありませんで、たどり着くまでには一苦労でした。
 まず苦労したのが購入場所。これは前もって調べていなかった僕が悪いのでしょうけど、何しろ突然の水戸行きでしたので、そんなことはすっかり忘れており、「そうだ、納豆弁当を食べよう!」なんてひらめいたのが道中で、調べようと思っても「既に時遅し」でした。ただ、くだんの弁当が水戸駅に売っているということだけは知っていたので、とりあえず駅を目指すことになったのですが、まずまず都会の水戸駅周辺は駐車場を探すのも一苦労で、駅周辺をぐるぐると回る破目になりました。ようやく見つけた駐車場も丸井デパートのもので、買い物をしないと有料になってしまうというものでした。おかげで、以前からいつか買おうと思いながらも尻込みしていたCDを買わされてしまいました。う〜ん、複雑。
 やっとの思いで駅に着き、「さあ納豆弁当はどこだ?」ということになったのですが、どうやら納豆弁当は駅改札の中で販売しているらしく、改札を通らなければ購入できないのです。何たること!しかたないのでSuicaで入場して購入しました。ついに…。
 食べた感想としては、「うん、結構おいしいね」といった具合でした。骨抜きになるほど、というわけでもなかったのですが、期待はずれというわけでもない。まあ食べれてよかったと思える一品でした。あからさまな「納豆」という感じではなく、料理のなかに自然と納豆が添えられているような印象を受けました。臭いも気になりませんし、ねばねば感もあまりないので、納豆が好きじゃない人も意外と食べられるのではないでしょうか。納豆尽くしのお弁当ですが、しつこくもなく調理法には飽きさせない工夫が端々に感じられました。くせはあるけど全体的にはまとまっている、お弁当界のいぶし銀、野球で言えば土橋、俳優で言えば笠智衆(みなさん知らないかな)、そんな一味も二味もあるお弁当でしたね。
 とにかく食べれてよかったです。これで僕の「棺おけに入るまでにはやっておきたいこと」のひとつが達成されました。よかった、よかった。


<写真:納豆弁当>
カレー風味と青海苔風味の納豆てんぷらの軍艦巻きがふたつ、納豆と鶏そぼろを炒めたものをご飯と薄焼き卵で包んだ小さいおにぎりがひとつ、海苔巻ならぬ高菜巻の納豆巻がふたつ、付け合せにはお漬物とふきの煮物が添えられていました。お値段は550円でした。まずますのお値段ではないでしょうか。

水戸探訪記

nier2006-02-27

 今日は水戸の名所、金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに「日本三名園」と呼ばれる偕楽園に行ってきた。僕が紹介するまでもないとは思うんだけど、偕楽園は梅の名所で園内には三千本百品種の梅が植えられている。今の時期は梅が開花し始める頃で、僕が行くとちょうど「梅まつり」なるものが催されていた。僕自身季節事には疎く、梅を見に行くと意気込んでいったわけではないけど、まあ運がよかったわけだ。とは言っても、まだほとんどの梅は一分から二分咲き、早いもので3分咲きくらいで梅の花を見たというよりは蕾を見たという感じだった。
 平日真昼間の偕楽園はひっそりとしていて、露店はほとんど閉まっているし土産物店も活気がなかった。園内も観光客はほとんどいなく、お年寄りやカップルがわずかばかりいるだけだった。お年寄りの人たちは観光に来たというよりは、いかにも近所から来ましたという感じで、「家では嫁がうるさいし、孫も金せびるだけでちっとも相手してくんねーし、しょーがねーから公園にでも行くか」なんて思いながらここに来ているんだろうな、と思わせるような人たちばかりである。それに反してカップルたちは静まり返っているのをいいことに、ここぞとばかりにチチクリ合っている。情緒あふれる日本庭園で、いつもとちがった趣で愛を確かめ合っているんだろうけど、庭園目当てできている僕としては大変迷惑だ。ちっとも庭園に集中なんてできやしない。初春の梅を二人で楽しんで、「さあ、そろそろ帰ろうか」なんて言いながら内心「ムードもよくなってきたし、ホテルなんかに誘っちゃおうかな」なんてこと考えているんだろうな、なんて思わせぶりな二人の態度は甚だ遺憾だ。別にいいんだけどさ(ぶつぶつ)。
 そんなわけで、僕にとっての偕楽園は風流半分メロドラマ半分といったところだった。人込み嫌いの僕だけれど、これだったら休日に行けばよかったかな。


<写真:偕楽園
静かでいい所でした。いやホント。

人面猿の大合唱

 2004年4月に起きたイラク邦人人質事件。あれから一年半以上の月日が流れたわけだけど、事件が事件だけにまだはっきりと覚えている人も多いと思う。つい先日、イラクで人質になり、無事生還した今井紀明氏が公開しているHPを見つけた。そこでは、彼の肉声の他にも、彼に匿名で寄せられた事件に関する手紙を読むことができる。まあ当時あれだけ叩かれた事件だから、手紙の内容もそれなりに過激で、大概はろくでもない誹謗中傷ばかりの内容だった。
 そのなかでも特に目立った言葉が「自己責任」、「金返せ」。良識という名の仮面をかぶった匿名戦士達は、右に倣えと言わんばかりに同じようなことばかりぬかしてやがる。彼らのまともめいたしたり顔は何だ?まったくもって可笑しな話しだね。彼らは税金払って投票して他人に迷惑かけなければ良識人だと思ってやがる。ああなんと立派なこと!眩しすぎてまぶたが痛くなってくらあ。
 数々の批判者のなかに、社会の抱える病理に対して真摯な人間が一体何人いるんだ?結果的に多くの人々に迷惑をかけた今井氏だけど、18歳という若さで世にはびこる暴力に体当たりできる彼は、少なくとも自分の生活を守るだけで精一杯の個人主義者よりよっぽどマシだと思うね。彼のような人間がまだ日本に残っているだけで、僕はむしろほっとする。玩物喪志と揶揄されるこのやさくれた日本社会で、まだ世のため人のために動ける人間は貴重な存在だと思えないのか。二言めには「カネ」。これが高校、大学と世界でも有数の高等教育を受けてきた人間の発言とは思えない。
 ほとんどの手紙が匿名ということだけど、どれだけの送付者が自分の発言に対して責任がとれるのか?悪意、暴力、妬み、偽善、正義面。手紙のほとんどはクソみたいなのばかりだ。そんなふうにせっせと負の感情をかき集めることにいそしむぐらいなら、ちょっとは自分の過去を内省したらどうだ?
 最後に今井氏へ。あの事件で大きな失敗こそしたけれど、アホタレどもの暴力に負けずにこれからも果敢に攻めてほしい。あの失敗は決して無意味じゃなかったと証明してほしい。がんばれ、がんばれ、乗り越えろ。

NPO法人D×P 今井紀明のブログ
 

偏って当然、中庸なんてくそくらえ

 僕は、どう控えめに言っても「納豆狂」と表現できるくらい毎日納豆を食べ続けている。僕が初めて納豆に出会ったのはかれこれ20年以上前のことだ。当時赤子であった僕は、口にほりこめばいつまででも何でも食べていたらしく、まさに健康児の典型だったらしい。だからといって別に肥満児だったり、すぐに戻していたというわけではないらしく、食べたものは全てきちんと消化されて出力されていた。まさに健康
 そんな僕に一つの転機がおとずれる。まだ離乳食を食し、とても大人たちが食べているようなものを味わったことのない僕に、母は何を思ったかあの粘々とした奇妙な食べ物を僕に食べさせ始めたのだ。すると口の前に出されたものは何でも食べてしまう、屈託なく素直この上ない僕は何の疑いもなくパクパクと食べてしまったのだ。
 それ以来、20数年間納豆を食べ続けている僕なんだけど、納豆をやめた時期もあった。急に食べたくなくなるのだ。まるでそれは季節のように定期的に訪れ、去っていく。特に10代前半の頃は食べる食べないでかなり極端だった。でもある時期を境にそんなことはパタリとなくなってしまい、今では毎日2〜5パックは消費し続ける毎日だ。大豆、菌糸、化学的反応、そんなものが僕の毎日を取り巻いている。
 ここまでくると「イカレ納豆野郎」なんて形容されそうだけど、たとえ世界中が納豆嫌いになっても僕は決して長いものには巻かれたりしないね。そんな世界はこっちから願い下げだ。


 余談だけど僕には弟が一人いて、こいつがまた「納豆狂」ならぬ「牛乳狂」なんだ。朝から晩まで牛乳を飲んでいる。相手が洋食だろうが中華だろうが和食だろうがおかまいナシ。いつも右は箸、左は牛乳。そのせいか今では僕より背が高い。こうなるんだったら僕も「牛乳狂」の方がよかったかな。